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学而時習之、不亦説乎(学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや) [身辺雑記]

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子曰、学而時習之、不亦説乎。 有朋自遠方来、不亦楽乎。 人不知而不慍、不亦君子乎。


子曰く、「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。 朋(とも)あり遠方より来る、亦楽しからずや。 人知らずしていきどおらず、亦君子ならずや」



有名な孔子の教え、論語の一説です。
昨日、練習後の反省会で言われました。

これまで何度も同じことを言われているはずなのに、身についていない・・・それがある時ストンと納まる、腑に落ちる時があります。

そんなことを話していて、上記の一説を言われました。

どんなことでも、学ぶことには終わりがありません。

これで極めた、ということはない・・・学べば学ぶほどに新しいことがあり、気づきがある・・・そして理解が深まることがまた愉しい。

人様のお話を聴くための学びもそうだし、武術もそう。


そして、そこからまた新たな世界が広がる。



かつて、そして今も、私は人付き合いに苦手な部分があります。


「私はこれまで人間関係で人との距離感がうまく掴めない人だった・・・」

という話をした時師匠が、「今何て言った? ・・・人だった・・・と言ったでしょ? 貴女は今、変わりつつあるんだよ」と言いました。

自分の気持ちを表現することが苦手で、甘えベタで、人にどこまで近づいたら良いのかわからず、深入りしないように逃げていた自分・・・(《距離・ディスタンス》http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2011-07-19)。

武術で仲間と手を合わせ、ヘンな気遣い無用の率直な付き合いを続けているうちに、少しずつでも変われているのでしょう。

クンフーはコミュニケーション・・・手を合わせ、勝ちたい、相手を打とう、負かそう、というのではなく、触れた手から、あなたは誰?何をしたいの?どうしたいの?そう来るのね、じゃぁ私はこう・・・というやり取りをするのがクンフー。
コミュニケーションツールとして最高だ!というのが私の師匠の持論です。

そして、ある手の出し方は、相手に向けているようだけど実は自分を知るためでもある、自分に問う手でもある・・・。

クンフーはコミュニケーション、そしてカウンセリング。

坐禅を教えてくださっている僧侶が、心を調えるためには身体を調えること・・・だから坐禅、ということを話されました。

いきなり心を調えようとしても難しいが、身体を調える方がやりやすい・・・そうです。

ちなみに武術には「立禅」というのがあります。

カウンセリングの学びで頭の中でこねくり回していてもほどけなかったもつれた糸が、クンフーを習うようになってほどける糸口が見つかったような気がする時があります。

完全に見えたわけではない、時々チラリと見えたような気がする・・・それをしっかり捉まえたいと思います。



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自分じゃわからない [身辺雑記]

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もう何年も前、女性の友人から相談の電話がたびたびかかっていました。

彼女は私に、「あなたの声を聞いてると落ち着く、癒される」と何度か言いました。

自分の声を聞くことって、あまりありませんよね。
メディアに出ている人や、講演をする人でなければ、自分の声をわざわざ録音することもあまりありません。

子どもが小さかった頃、遊びで録音した自分の声が意外に低くて、へぇ~と思ったことはあります。


カウンセリングの勉強をしていたとき、対話を録音して文字に起こす、という課題がありました。

自分の声、話し方を客観的に聞いて愕然としました。

女性の場合、年齢を重ねるとだんだんに声が低くなるそうです。
一方、欧米では低めの落ち着いた声が好まれ、甲高い声はバカにされるとも聞きます。

最近の若い女性の、鼻に抜けるような高めの声、話し方は、私はどうも馴染めません。

また、電話の時や、相手によって声が変わる女性もいますね。
たいてい高くなりますが・・・。
ちょっと裏返るような、マダム声とでもいうような。

客観的に聞いた自分の声は、思ったより低く、他人様にはこういうふうに聞こえいるのか・・・と面白く感じました。

声もそうですが、顔もたぶん、鏡に向かった時は自分の眼に修正フィルターをかけているような気がします。

その証拠に、ショーウィンドーに映った自分の顔、姿が思いがけず目に入ってビックリ!という経験はありませんか?



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涙は女の武器!? [身辺雑記]

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かつての同級生と会って、昔の話になることがあります。

もうン十年前のことですが、中学・高校、女子高だったから、力仕事も、重い物運びも全部自分たちでやっていました。

学園祭でパネル運んだり、大工仕事もどきのことも、やってくれる男子がいないんだから、当然自分たちで。

共学の大学に進んだ時は、だから結構カルチャーショックでした。

今まで自分たちでやっていたような、力仕事系のことをやろうとすると男子が、女子はいいから、打ち上げの準備してて・・・みたいな。


正直なところ、あれっ?という感じでした。

当たり前のようにしていたことを取り上げられたような・・・私自身がどちらかというと男っぽい性格だったせいかもしれません。

あるいは、一人っ子だから、甘えてるとか言われないために、人を頼ろうとしない性格になっていたかもしれません。



もうひとつ、友人が男子の同級生にカメラとフィルムを差し出して「フィルム入れて」と当たり前のように言ったこと・・・ものすごく鮮明に記憶しています。

えっ?何?フィルム自分で入れないの???・・・カメラ好きだった私には驚天動地のカルチャーショックでした。

彼女は男兄弟がいましたから、家族構成や成育史も、こうしたことに関係あるかもしれませんね。

私が一人っ子で、いわゆる女系家族だったことは影響しているかもしれません。



その当時、男に生まれればよかった、と思ったことはありませんが、女に生まれて良かった、と思ったこともありません。

むしろ、女っぽいことが苦手・・・といっても、お転婆だったり、運動神経が良かったりというわけではありません。
どちらかといえば運動も不得意でした。

今でもそうですが、花柄やフリル、ヒラヒラの服も苦手です。


よく、女の武器は涙、などと言われますが(今はあまり言わない?)、私からすれば冗談じゃない、もってのほか!でした。

最近でこそ歳のせいか涙腺がだいぶ緩くなっていますが、子どもが生まれるくらいまで、自分の子ども時代は別として、泣いたことがありません・・・感情を殺していたかもしれませんね。

今は、喜怒哀楽、涙を流すこともできます。

自分が女であることも、その良さも、充分受け容れています。



でもやっぱり、涙を武器として使うよりは、アメリカ映画のアクション女優のように闘う方に憧れます。

たぶんその方が私には似合ってるかな・・・あんなにスタイル良くないけど。




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想い出は、熟成されたワインのごとく・・・ [身辺雑記]

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25年ぶりに再会した友人と、交流が復活しました。


年賀状のやり取りは続いていたのですが、お互いの生活もあったりで、会うことはなくなっていました。

学生時代から社会人として仕事をしていた頃、よく一緒に映画を見たり、本を貸し借りしたり、共通の趣味で話が盛り上がる楽しい友人でfした。


久しぶりに会って話すと、当時のことが次々思い出されます。


私たちくらいの年齢になると、こうして昔のことを思い出したり、「ほら、あれあれ、なんだっけ」「そう、あれあれ!」という会話から「あれ」を言語化できたりすることで回路が繋がり、脳の活性化になるようです。

要するに脳トレですね。


当時の楽しい想い出は、熟成されたワインのように芳しいものになっています。

そして、離れていた間に互いが仕入れていた情報を交換することは、新たなワインを仕込むような、そう、ボジョレー・ヌーボーを味わうような新鮮な楽しみもあります。

この新しいワインがこれからどんな風に熟成されていくか・・・老後の楽しみがまたひとつ、増えました。




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黄昏の街角 [身辺雑記]

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冷たい雨が降る黄昏時。

家路を急ぐ人たちがいる。

塾に急ぐ小学生がいる。

保育園にお迎えを急ぐお母さんがいる。


母親たちはたくましい。

あるお母さんたちは自転車の前後に子ども達を乗せて駆け抜け、

あるお母さんたちは両手に大きな荷物を持ちながら子どもを抱き、子どもの手を引き、バスに乗る。


コンビニの前に群れる、部活帰りの中高生。

おそらく独りの食卓に乗る、惣菜と缶ビールが入った袋を手にした男性。


黄昏時の街角、行き交う一人ひとりの後ろに家庭があり、家族がいる。

目に映る人は一人でも、その背後に何人もがいる・・・なんだか不思議な感覚。



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草木も眠る・・・ [身辺雑記]

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草木も眠る、丑三つ時・・・といわれますが。

国語辞書によれば、

うしみつどき【丑三つ時】   丑の刻を四つに分けた第3にあたる時。今の午前2時から2時半ごろ。 一説に、午前3時から3時半ごろ。また転じて、真夜中。深夜。



で、たまに夜中に目が覚めます。

週に1回か、月に2~3回ほどのたまに・・・たいてい、トイレに行きます。

ま、トイレに行きたくなって目が覚めるのか、目が覚めてトイレに行きたい、と思うのか・・・それはまた別の疑問が生じるのですが・・・。

この、夜中に目が覚めた時、何気に時計を見ると、たいてい2時から2時過ぎくらいなのです。


しかも、2時ピッタリではなく、2時04分、2時14分、2時40分・・・ふと見るとこの時間が多いのです。

いつくらいからか解りませんが、2時と、4の付く分・・・なんとなく不思議な符合です。

11時に寝ても、12時に寝ても、だいたいこのくらい・・・入眠してからの時間とは関係なさそうです。

2時24分と34分はまだない・・・。

そういえば丑三つ時ってよく言うけど、何時くらいなんだろう・・・と思って調べたら、上記の記載が出てきました。


気になりだしたから余計にこのような時間に目が覚めるのか・・・潜在意識のなせる技なのか・・・わかりませんが。

今度夜中に目が覚めたら、また時計を見てみます。




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この道、ン十年 [身辺雑記]

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自然に触れることが好き・・・特に鳥を見ることが好きで、若い頃は環境調査の仕事をしていました。

いつ頃から野鳥に興味を持ったのか・・・遡って考えてみると、小学校5、6年の時の、理科の先生の影響が大きいかもしれません。

庭にこんな鳥が来る、みたいな話から、調べてみたら?と言われ、母にねだって大人向けの鳥類図鑑・・・たぶん本棚の奥にまだあります・・・を買ってもらったことを覚えています。

もともと理科が好きだったので、小学生向けの昆虫・鳥類・動物の図鑑は持っていましたが、背伸びしたかったんでしょうね。

で、夏休みかなんかに、庭に来る鳥をその図鑑で調べ、図鑑の記事に自分で見たことを加え、図鑑の絵を見ながら映し描きました(トレースではなく、見て描きました)。

オナガ、コジュケイ、ジョウビタキ、なんて鳥たちをおぼえたのがその頃です。

子どもの頃の、先生の影響って、すごいですね!


そして・・・ついには仕事にまでして・・・。

先日の記事でも書きましたが、しばらく鳥を見ることから離れていても、カンは失われない・・・。

鳥を見始めてからおよそ50年近く(歳がばれますね)・・・観察眼というのは自転車に乗るようなものかもしれません。

今は、鳥がいるような環境に身を置き、のんびり楽しむ(とはいえ感覚は研ぎ澄まされ、ちょっとでも動くもの、遠くの声にも反応はするんですが)ことが主体となっています。


最近また時々鳥を見に出かけると、いわゆるシルバー世代・・・私よりちょっと年配の方々が、良いカメラを持って歩いています。

お楽しみはこれから・・・若い頃になじんだものはやはり良いです。




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初心者 [身辺雑記]

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大学生だった頃、野鳥を観察するサークルに入っていました。

就職先はアセスメント会社、動植物の野外調査で、主に鳥を担当していました。

そして、鳥だけでなく、昆虫や爬虫類も含め、生き物全般を見る癖がついていました。

その癖はたぶん、子どもの頃から身についていたと思います。


学生時代のサークル活動や、野外調査のアルバイトも含め、10年くらいは結構真剣に野鳥を見ていました。

仕事をやめ、鳥を見ることも観察や識別目的から、のんびりと眺めることに変わりました・・・が、生き物に反応する癖は抜けません。

たとえ視界の端でも、動くものが見えれば反射的に目で追ってしまいます(猫みたいです)。

かなり遠くでも、鳥らしきものが見えれば反応し、見つけることができる・・・藪の中でも動きをとらえ、追うことができる。

それから、足音をたてないように歩くとか・・・。


自分では当たり前と思っていましたが、そうでもないらしいです。

野鳥を見ることを始めたばかりの人には、そういうのがないらしい・・・あそこにいる、と結構近いところのを教えてもらっても見つけられないらしい・・・。


こういうのは、いつの間にか身について当たり前のことになっているんですね・・・指摘されて初めて気づきました。


ふと思い出したのが武術のこと・・・通じるものがあるのではないか?

武術歴30年の師匠にしたら当たり前になっていることが、初心者にしたらどうしたらいいのか皆目分からない。

今、太極拳の教室をサポートしていて感じることにもつながりました。

ある事にまったく触れたことのない人に、何から伝えればいいのか・・・。

好きで、興味があり、自分からどんどん調べたりした人ではない・・・やってみようかな、くらいで飛び込んだ人に、面白い、と思ってもらう、続けたい、もっと知りたい、と思ってもらうには・・・。

この2,3日、野鳥観察と武術、とまったく違うジャンルながら、「初心者」に向き合う上で考えなければならないことに共通したものを示されたようです。


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老いと・・・闘う? [身辺雑記]

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ペットボトルのふたが開けられない・・・それどころか、中身が入った500ミリのペットボトルが重い。

缶のプルトップが開けられない。

割りばしが割れない。

ゴミの袋が重い。


85歳の母が、春に左手首を骨折し、生活を手伝ったり身近に接することが増えて感じた老い。


ほぼ元の生活に戻り、ペットボトルのふたは開けられるようになり、割り箸も割れるようになりましたが、2か月以上自分でやることが減っていた生活は、やはり老いを助長させたように思います。

母は頭もしっかりしていますし、身体的な不自由もあまりなく、同じくらいの年齢の女性に比べると、他人様からは若い、回復が早い、などと言われ、本人もその言葉に気を良くしています。

いつもきれいにメイクし、週に一回サロンで髪を整え、ピンクや赤など明るい色の服しか着ない。

それだけにむしろ、老いに対する抵抗が強いようです。

母なりのセルフイメージが強くあり、それを崩すことはおそらく耐え難い。

いつも元気でいなければ = 骨折して行動が自由にならない状態、娘にあれこれやってもらわなければならない状態は本意ではない。

こんなに病人みたいになっちゃって・・・・・・だから病人(怪我人)ですから、と私。


2~3カ月のブランクを取り戻すには、もっと若い年齢の時より何倍も時間がかかるはず・・・それも受け入れ難く、元気が出ない、前はこんなじゃなかった、どこか悪いんじゃないだろうか、と思い悩む日々。

血液検査をすればお医者さんが、完璧!俺よりずっといい数値!と言う・・・。

じゃぁ、どこか悪いところが見つかればよかったの?と言えば、そうじゃないけど・・・と。



気づいたのは、母は実はものすごくマイナス思考だということです。

ひとつ良くなればそれを喜ぶのではなく、また別のマイナス要因を見つけてくよくよする・・・その繰り返し。

だからこそ自分の中にマイナスがあってはいけない、見たくない。

「老い」を頭ではわかっているかもしれないけど、見たくない、認めたくない。



周囲の他人様は甘い言葉しかかけませんが、実の娘の私は容赦ありません。

しかし愚痴をこぼす相手は娘だけですから、顔を合わせれば愚痴る・・・。

顔を見た途端に文句ばかり言われるのではたまったものではありません。

結果、私の言葉もさらにきつくなってしまいます・・・ここが実の親子の方が難しいところ。


親御さんの介護をしている方、特に同世代の介護者は老々介護に近い・・・それに比べれば私と母の関わりなどまだまだ甘いでしょう。

私の方にも老いた母に対して「母」というイメージがぬぐい切れず・・・それでも母の「老い」を日々見つめながら、自分への戒めとしたいと思います。

世には「アンチエイジング」という言葉がはびこっていますが、年齢を重ねることは当たり前のこと。

抵抗し、闘うのではなく、受け容れてうまく折り合いをつけながら生きる、「ウィズエイジング」を考えませんか?



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お久しぶりです [身辺雑記]

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紫蘇ジュース



すっかりご無沙汰してしまいました。


ブログお休みして5ヶ月も経っていたんですね!


ほかの方のブログも訪問せず、コメントもいただいたまま…もう忘れられているかも…と、恐る恐るの再開です。


ではなぜ4ヶ月も突然お休みしていたかというと…。



3月いっぱいでパート仕事を辞めて、ハスキーきなこと少しのんぴりしようと思っていました。

最後の勤務が3月27日で、明日はラスト…と思った、忘れもしない26日の朝、夫が出張先から帰る日に椎間板ヘルニアになってしまいました。


現地から車椅子、飛行機、車椅子、タクシーと乗り継いで病院に直行。

幸い、痛み止を出されただけの恐らく軽症。


しかし、9時出勤、6時半帰宅、土日在宅という日々が始まりました。


今まで平日は毎日遅い帰宅、週末は泊まりでゴルフ、という生活だったのが180度転換、家で毎日夕飯を食べるなど、結婚以来かも!?


そこに追い討ちをかけるように4月10日、同じ敷地に住む85歳の母が出先で転んで左手首骨折…!

合う人ごとに、右じゃなくて良かったね〜!脚じゃなくて良かったね〜!と言われました。



で、朝は7時に夫を起こしてから母の朝食を手伝い、戻って自分たちの食事をして、ゴミ収集がある日はゴミ出し。

12時前には昼食を手伝い、6時前には夕飯を手伝う…夫が帰って7時過ぎに私たちの夕飯…と、一生分くらいの家事をする暮らしが2ヶ月ほど続きました。


まぁ、二人とも徐々にもとの生活に戻り、平穏な日々を取り戻しつつありますが、実に良い介助シミュレーション、老後シミュレーションになりました。


そんな怒濤の日々にも自分を保っていられたのは、拳法という、自分の居場所があったから…本当にありがたいことでした。


母を見ていて、老いるとはこういうことか…と実感もしましたが、その話はまた後日…。


ともあれ、ブログもボチボチ書いていきますので、またよろしくお願いいたします。



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夜明けの闘い [身辺雑記]

今朝、まだ明けやらぬ頃、頬にきなこの冷たい鼻先をチョン!と押しつけられて目が覚めた。

こういう時はたいてい、「トイレ、掃除して!」

案の定、定位置のトイレシートが、使用された状態になっている。

片づけている間、きなこは「よろしくね」みたいな感じで水を飲みに行ったり・・・。

すると台所の方で、ガシャン!!という音。

急いで見に行くと、台所にきなこがいて、視線の先の方でキーキーという声。

まさか!?と思ってみると、数ヶ月前から仕掛けてあったネズミ獲り用粘着シートにネズミが・・・。

大きさから見て成獣・・・おそらくクマネズミ。

きなこは茫然としたように、もがくネズミを眺めている。

我に返ったきなこが近づくより早くシートを取り上げて、見せて、見せて!というようについてくるきなこをよけながら、ネズミさんをはさんだままとりあえず外へ。

シートは仕掛けてあった位置から引っ張り出されていたから、おそらくきなこがネズミを見つけて追いかけ、慌てたネズミが逃げる途中シートを踏んでしまったと思われる。

きなこに粘着剤が全くついていなかったから、たぶんネズミに手をかけるか何かして、シートごと引っ張り出したかな。

前回のネズミ騒動(《快挙!》http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2009-12-09)から4年近く経った昨秋、再びネズミの気配があった我が家。

天井裏での運動会に始まり、経験値の低い子ネズミの捕獲、そしてようやく大人のネズミがまたもやきなこのお手柄で捕まった。

しかし、子ネズミがいたからには、大人ネズミも一匹では済まないはず・・・まだまだ安心はできない。


とはいえ今夜、天井裏は静かだ。



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雛祭りに・・・ [身辺雑記]

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今日は三月三日、雛祭りの日。

私はお節句、雛祭りというと、嬉しい気持ちよりも、重苦しい気持ちの方が先に立ちます。

もう何年も娘たちのお雛様を出していない、ということもあるかもしれません。

長女が生まれた時、私の母がお雛様をくれる、というので、飾る場所もないのだからお願いだから大きな段飾りなどはやめてほしい、小さな内裏様だけでいい・・・と頼みました。

そしてやってきたのは確かに内裏様だけの親王飾りでしたが、二人並べて雪洞や屏風、菱餅、なども並べる台は畳一畳もあろうかという代物。

4年後に次女も生まれると、ひと回り小さいとはいえ、親王飾りがさらにもうひと組・・・。

この頃から飾り台は出さず、本当にお雛様だけを飾りました。

お節句が近づくと母から、お雛様は出したの?出さないとお雛様が泣くわよ!

3日が終われば、早く片づけないとお嫁に行くのが遅くなる・・・。

だんだんお雛様は私にとって気が重いものになってしまいました。

だいたい、飾るのはいいけれど、片づけてしまっておくのに場所をとる。

どうやら場所を確保して片づけておくと、一年の間には物が増えて飾るスペースを占領しているし、しまってあるところから出すのさえ一苦労。

飾らなくなってしまったのはいつからでしょう・・・。

私が実家に持っているお雛様は、大きな段飾りではなく、ガラスケースのなかに段違いで飾れる木目込みの童顔のお雛様。

一体が高さも幅も10センチくらいでしょうか・・・今思うと場所をあまりとらない、斬新なものです。

でも子どもの頃は、これぞお雛様!みたいな、大人顔で長い髪と広がった十二単の内裏様にあこがれました。

それも私が結婚してからは、母が飾っています・・・出すのが大変だったとか、しまうのが大変だとか、文句を言いながら・・・。

子どもの頃、雛祭りで友達を呼んだり呼ばれたり、という経験はなく、お雛様を出すと母が毎晩夕飯時にご馳走をお供えするのが習わしでした。

私にしたら、なんだか仏様にご飯をお供えするのと同じような感覚・・・お雛様は触れてはいけない、遠い存在になっていったのかもしれません。

母が子どもの頃、夜中に目を覚ますとお雛様が宴会をやっているような声が聞こえた、とかいう話もよく聞かされました。

この話や、お雛様を出さないと泣く、という話も、私にとってのお雛様をホラーチックな存在にしていったに違いありません。


お節句は女の子の成長を願う、素敵な風習・・・子どもたちにも伝えていきたいとは思いますが・・・。

お雛様を飾るのは、心にも時間にも、家のスペースにも余裕がないとなかなか難しいですね。



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こんな出会いでも必然なのか? [身辺雑記]

人を嫌いになるってことはめったにないのだけど…

ひとりだけ、どうしても赦せない人がいる。

ある場所に紹介した知人が、後日連れてきた人。

知人の方はその人を紹介して、自分は来なくなってしまった。


あるできごとがあって、私としては珍しく、顔も見たくない、と思うようになった。

それから一年以上、その場所で私とは見事にタイミングをはずしていた。

もう来ていないのかと思っていたのに、タイミングを外してすれ違っていたらしい。


出て来いやぁ!の念が通じて(?)バッタリ会ったが、私の気持ちはまだ赦せていないことがわかった。

何もなかったかのようにふるまっていることが赦せないのか、謝罪の言葉があれば赦せるのか。


その人が私の前に現れたのも、元をただせば、知人を紹介したという私自身の行動から。

ヘタをすると、その知人にまで私の嫌悪はおよびそうになる。


どんな出会いも必然という。


ひとつ言えるのは、その人が現れたことで、私の中のものすごいマイナス感情に気づかされたということか。

そして、世の中には私の辞書になかった人がいるということ・・・おかげで経験値がアップしました。


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(本文と写真は関係ありません)



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揺らぐ・・・ [身辺雑記]

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こう見えて(?)私は15年ほど前に、カトリックの洗礼を受けている。

おまけに、週2回ほど、所属教会の受付で、電話番その他事務仕事の手伝いをしている。

しか~し!もとからさほど敬虔とは言えなかったのだが、ここに至って自他ともに認める(?)不良クリスチャンとなり果てている。

昨年初めからミサの時間が変わったので、ほとんど与れなくなったということもある。

それ以上に、ハスキーきなこの散歩、武術練習、と、我が家に近い(というより本当は隣)お寺に行くことの方が多くなったということがある。

お寺の敷地は、我が家の敷地の隣だが、何しろ広いので本堂にたどり着くまでは10分近くかかる。

本堂の辺りまでは犬は連れて行かれないものの、毎日のように参道を通り、武術の稽古をし、顔を覚えられて若いイケメンの修行僧にも、おはようございます、こんにちは!と明るく挨拶されれば親しみもわいてくる。

それに引き換え教会は・・・いや、言わぬが花。

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信仰生活には「躓く」という言葉がある。

何らかの理由で信仰を捨てる、あるいは捨てるところまで行かなくとも、捨てたも同然になること・・・その理由は人間関係であることも多い。

教会というところは、一種の村社会である。

いろいろな人がいる・・・よく、カトリックなどキリスト教を信仰している人、というと清く正しく、間違ったことはしないし、まさに聖人のように思われがちだが、ま~ったくそんなことはない。

むしろ一般社会以上にいろんな人がいる、と言っても過言ではないかもしれない・・・だからこそ救いを求め、信仰を求めて教会に行くとも言える。

私は別に人間関係に悩んでいるわけではないが、いろいろな意味で(ここにはかかないけれど)、躓きかかっていることは事実かもしれない。

そもそも私がカトリックの洗礼を受けたきっかけは・・・

幼稚園、小中高とカトリックの学校だったので、なんとなくなじみがあったこと。

隣がお寺なのに、法事の時くらいしか仏教に接することがなかったので、知らなかったこと。

あるきっかけがあり、たまたま洗礼を受けるための勉強に後押しされたこと。

単純と言えば単純、神との劇的な出会いもなければ、岩をも動かす深い信仰があったわけでもない。


書店でふと手にした本・・・隣のお寺の僧侶が書いた本・・・をパラパラと読んでいたら、世の中には偶然はない、すべては必然、どのような人と出会うもすべてご縁。

すなわち無駄な出来事も出会いもない・・・。


キリスト教でも仏教でも、同じように良いことを言っている・・・。

人が幸せになるためのものが宗教(と、私は思っている)・・・ならば、道が違うだけで行きつくところは同じなのではないか?と思う今日この頃である。

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ピアノ物語~エピソード3  母とピアノのお話、ついにここまで来た! [身辺雑記]

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《母のピアノ》http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2008-08-10 ・ http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2008-08-11 と題した記事から端を発した、母とピアノのエピソード。

繋がる輪は次々と広がり《動き出したピアノ物語》http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2010-04-28 、ついに短編映画の話が持ち上がったのが2012年・・・《まだまだ続く、母のピアノ物語》http://michaela.blog.so-net.ne.jp/2012-12-16

ずいぶん転がってきたものです。

1年以上を経て、その映画がようやく完成、1月18日(土)に、完成上映会が開かれました。

タイトルは≪An American Piano≫http://www.imdb.com/title/tt2935780/

母の宝物であるピアノがアメリカ製(メイソン&ハムリン社)であることからでしょうか・・・。

監督のポールさん、映画のアイデアを提供し、脚本制作のヘイミッシュさん、少女の頃を演じてくれた主役の怜音ちゃん、両親(私の祖父母)役の松尾純さん、久藤今日子さん、さらには実際にはなかったエピソードですが警官役で出演されたルー大柴さんなどの面々に混じって母もステージに上がり、花束をいただきました。

映画化のきっかけとなった、POW研究会http://www.powresearch.jp/jp/index.html の笹本妙子さん、田村佳子さんとも久しぶりにお会いできました。

映画は20分ほど、音楽は、これも縁が繋がって友人のピアニスト加畑嶺さんhttp://ameblo.jp/reykabata/の弾くショパンがバックに流れ、江夏正晃さん率いるmarimoRECORDS http://www.cybermarimo.com/ が全面協力。

実話に基づいてはいるものの、「さらに感動的にするため」(ポールさん曰く)にかなり脚色され、抒情的なフィクションとなってはいますが、母が語っていたエピソードがちりばめられて、実際、感動的な作品となっていました。


日本で捕えられ、もしかしたら一少女の弾くピアノを慰めにしていたかもしれない人達・・・生きていればおそらく90歳を超えているでしょう。

このエピソードがもしもう一度転がって奇跡を起こすとしたら・・・その頃母のピアノを聴いていた人と一人でも連絡がとれれば・・・と思います。

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