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母のピアノ・・・② [メインテーマ]

母の宝物、ピアノ・エピソードの続きです。

戦争中も母はピアノを弾くことを止めなかったようです。

ピアノ【メイソン ハムリン】について・・・続き(原文のまま)


音楽に国境はないといわれていますが、このピアノはインターナショナルな運命を持っていると私は思います。
いろいろな国の人の心をなごませて、やさしさを与えてきました。

戦争が終わりに近づいた頃、家の前には捕虜の収容所がありました。

1945年の夏の暑い日が続く頃、私はいつものようにピアノの練習をしていましたが、収容所の屋根の上には捕虜の人たちの人数が日毎に増えて、2人が3人、そしていつのまにかずらっと並んで私のピアノを聴いてくれていました。

英国人のお医者さんもいれば、アメリカの人、そしてインドネシアの人たち、皆、音楽の好きな素敵な人たちでした。

帰国の前にはその人たちは皆、私の家にお礼の挨拶に来てくれました。

礼儀正しい人たちでした。
いつまでも手を振って、バスに乗って帰って行きましたが、そんなほのぼのとした素晴らしい良い想い出があります。

そして私はこのピアノにとても感謝しています。

1945年8月、アメリカの軍人たちが日本に入ってきたとき、この家も取られてしまうのではないかと心配し、何よりも大切なピアノを取られては大変と、両親とも相談して隠すことにしました。

ピアノの脚をはずし、ピアノを立てて毛布を何枚も使ってすっかり包んで、押入れの奥に隠しました。

考えられないようなことですが、何とかしたいという気持ちでいっぱいでした。

4~5年過ぎて、大丈夫らしいということで、びくびく、どきどきしながら出して見ましたが、ピアノは全く健在で、音色も変わっていませんでした。本当に嬉しい思いでした。


今日こうしてこのピアノを弾いていただける機会に恵まれて、本当に嬉しく、最高の喜びと、心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。


P1020122.JPG




このエピソードから、戦争をしているのは人ではない、国なんだ・・・と感じます。

捕虜になり、たまたま収容された収容所に毎日聞こえてきたピアノの音色・・・決して良い待遇ではなかったはずですが、その中で母のピアノが少しでも癒しになっていたのなら、こんな嬉しいことはありません。

その人たちも生きていればずいぶん高齢のはずですが、今どうしているでしょうか。

さて、それから何年か経ち、母は結婚、やがて私が生まれたわけですが、物心ついて以来、母が弾くピアノを聞いたことはありません。

ただ、このピアノが母にとっての宝物であることは変わらないようです。

それほど好きだったピアノをなぜ封印できたのか、聞いても答えてくれませんが、もう一度ピアノを弾くことを楽しみ、生き甲斐としてくれればいいのに・・・と思っています。


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コメント 4

トニー

うわぁ。

いいですねぇ~☆

このグランドピアノ♪

なんだか、いとおしくなってきますねぇ~

michaela さん家族の一員ですねぇ。

ちなみに、michaela さんは、弾かれたりなさらないのですか?

追記
わたしの妹がピアノの先生をしている関係で、
うちにも、グランドピアノがあります。

わたしも、一度、トライしてみたことがあったのですが…

挫折しましたぁ!!


by トニー (2008-08-11 23:16) 

michaela

トニーさん、妹さんはピアノの先生ですか!
私も小学生の頃、周りがみんな習ってるので私も習いたいと言ったら母から、ほんとに好きでなければ続かないからダメ、と一蹴されました。それ以来私にできる楽器といったらハーモニカとリコーダーだけ・・・。
by michaela (2008-08-12 08:31) 

大根田真

今回のmichaelaさんの【お母様のピアノ】のお話からは、オリンピックにも負けない深くて大きな感動をおぼえます。
素敵なお話をありがとうございました☆


by 大根田真 (2008-08-12 23:14) 

michaela

大根田さま、ありがとうございます。戦争中の逸話というと苦労した話がほとんどですが、中にはこんなほのぼのしたエピソードもあるんですね。
by michaela (2008-08-13 00:10) 

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